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新潟地方裁判所長岡支部 昭和36年(わ)135号 判決 1967年8月07日

被告人 島名由松 外三名

主文

被告人八木信夫を罰金五〇〇〇円に、

被告人大滝保を罰金四〇〇〇円に、

被告人島名由松を罰金三〇〇〇円に、

各処する。

右被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は別紙のとおり右被告人らの負担とする。

被告人茂野久治は無罪。

被告人島名由松は、昭和三六年三月一五日午後八時ころ伝田今朝春、武山芳郎および平野善徳に対して、同日午後八時四〇分ごろ伝田および平野に対して、ならびに同月一六日伝田および平野に対して各暴行を加えたとの事実についていずれも無罪。

被告人八木信夫は小泉友利に対して脅迫を加えたとの事実、市川寛および本多末作に対して各暴行を加えたとの事実についていずれも無罪。

理由

第一本件各事件に至る経緯

一、前提となる諸事実

全国電気通信労働組合(以下単に組合または全電通という)は、日本電信電話公社(以下単に公社という)の従業員をもつて組織された労働組合であつて、その組織は中央本部、地方本部(以下単に地本ともいう)、支部および分会から成り、それぞれ公社の本社、電気通信局、電気通信部等、および電話局等に対応するものである。全電通の議決機関は全国大会および全国大会に代わる中央委員会ならびに各下部組織に対応する大会および委員会であり、執行機関は中央執行委員会と各下部組織に対応する各級執行委員会であり、また各執行委員会は争議中は闘争委員会を組織するものとされた。また組合と公社とは、その間の合意(団体交渉方式に関する協定)をもつて、両者間の団体交渉のための機関として前示各組織に対応して中央交渉委員会、地方交渉委員会、支部交渉委員会および職場交渉委員会を設置し、団体交渉の円滑な運用をはかつていた。

被告人島名由松は本件当時全電通新潟県支部書記長、被告人八木信夫および同茂野久治は同県支部執行委員であつたもの、被告人大滝保は新潟県労働組合協議会副議長であつたものである。

<証拠省略>

二、長岡電報電話局事件の背景と経過

(一)  時間内職場大会開催決定までの事情

1 公労協は、昭和三六年春、当時の社会経済情勢を背景に大幅賃金引上を主軸とする諸要求の貫徹を目指して当局と厳しく対決する姿勢をとり、同年三月三一日の傘下労働組合によるいわゆる半日ストライキを伴う統一行動を一つのピークに、同月一五日に動力車労働組合、同月一八日に全逓信労働組合の各実力行使など、実力行使をふくむ闘争態勢を整えていた。

全電通も、公労協の統一行動の一翼を担つて、賃金大幅引上と全電通独自の課題の解決を公社に対して要求することとし、同年二月一四日から一七日まで開催の第二六回中央委員会において決定された方針にもとづき、同月二〇日、中央執行委員長の名義をもつて公社総裁に対して同年一月一日にさかのぼつて一人平均五、六二〇円の賃金引上、要員の算出基準および配置に関する協約の締結を中心とする春闘要求書を提出したが、同月二八日付の公社総裁の回答は、来年度以降一、〇〇〇円程度の賃金引上は妥当であるが配分方法については要求に応じられない、要員問題は公社の管理運営事項であつて団体交渉の対象となり得ない等を主内容とするものであつて、組合の要求との間には相当の懸隔があり、同年三月一日以降つづけてきた団体交渉の結果も両者の見解は相対立したままで歩み寄りの気配は見られず、殊に組合が昭和三六年春闘の中心的課題としていた要員問題については、公社は団体交渉の課題とすることにも応じない態度をとりつづけた。そこで組合は、三月五日に開催された戦術委員会(中央執行委員と各地本代表によつて構成)の議を経たうえ、公社の譲歩が得られないときには局面を打開するために三月一六日に拠点闘争方式による実力行使を行うこと、右の拠点闘争は各地本毎に中央闘争委員(以下単に中闘という)を派遣して直接現地指導をおこなわせること、ならびに信越地本には大野安信中闘を派遣すること、を決定した。

かくして同月一〇日は中央闘争委員長名の指令第九号をもつて、同月一三日から一六日までの全国一斉時間外労働拒否および一三日以降における実力行使実施態勢の確立を指示し、ついで同月一四日付中央闘争委員長名の指令第一〇号をもつて実力行使の具体的な方法として拠点における始業時から午前一〇時まで全組合員が参加する職場大会の開催を指示し、さらに同日闘争連絡第七八号をもつて職場大会を開催する拠点を新潟電気通信部管内では新津、長岡、三条の各電報電話局と指定し、最終的な実施局は派遣中闘が決定すること、ならびに職場大会実施については現地派遣中闘を最高責任者とすることを指令した。

2 信越地本の拠点指導に派遣された大野中闘は、長野電気通信部管内拠点局の闘争指導は信越地本に委ねて、自らは新潟に赴き、新潟県労働組合協議会(被告人大滝が副議長)、社会党県会議員団その他の団体機関に三月一六日の実力行使に対する援助を依頼したのち、一四日夕刻に至つて、新潟電気通信部管内における拠点を長岡電報電話局(以下単に長岡局という)と指定し、公社の対策を混乱させるための陽動作戦として新津、三条の各局にも組合員を動員し、最終的にはこれを長岡局に集中するが最終段階まで長岡を拠点局に指定したことを公社に通知しないこと、などを指令した。

<証拠省略>

(二)  長岡局時間内職場大会開催の具体策

三月一四日午後五時から新潟電々会館で大野派遣中闘の主宰で開かれた闘争委員会は、新潟県支部闘争委員全員のほか信越地本役員と長岡、三条、新津、の三拠点局各分会闘争委員が出席し、同月一六日長岡局に長岡地区労働組合協議会傘下労働組合員一、五〇〇名の支援を求め、県支部管内各分会から合計三〇〇名を動員し、長岡局分会員四〇〇名全員をもつて早朝始業時から午前一〇時までの間勤務時間内の職場大会を開催する、大会は大野派遣中闘を最高責任者とし、池本書記長田中大次および県支部委員長水品雄作がこれを補佐し、職場大会に参加する組合員の職務に代替しあるいは職場大会参加を妨害するために長岡局管理者又は同局に動員された他局の管理者が入局し、あるいは通行しようとすることがある場合に、これに対する説得を行ない、説得に応じない者の入局を実力で阻止するために局内外要所にピケツトラインを張ることとし、これを説得隊と称してその総指揮者を県支部副委員長太刀川省次、各部署の指揮者を、通用門裏門は被告人茂野、正門と電報通信室入口は被告人八木、電話交換室入口廊下は被告人島名と地本闘争委員斎藤忠栄、電話交換室内は地本闘争委員小島洋吉と県支部闘争委員小林芳子と定めた。また公衆に対する協力要請と説得には組合出身地方議員池亀高司、石田庄治等六名をもつて宛て、紛争を生じたときに対処するために稲村、小林、松井等の国会議員や弁護士等に援助を求めることとした。またピケツトラインは、長岡局管理者の出入局は妨害しないが、一六日午前零時以後他局の管理者の出入局を拒むこととした。

ついで、一五日午後五時から長岡局内の組合分会事務室で現地闘争委員会を開き、中央交渉委員会の交渉の模様に注目しつつ交渉が決裂した場合にそのまま実力行使に入ることとし、前日の決定事項を確認したうえ、闘争の指揮権を大野派遣中闘が全部総括することとして、爾後組合新潟県支部および長岡分会の執行権をすべて停止した。

かくして長岡分会長笹井直衛は、三月一五日午後一二時少し前大野派遣中闘の命をうけて長岡局長太田久雄に対し、長岡局が拠点に指定されたことおよびこれに伴つて明日始業時から午前一〇時まで時間内職場大会を開催すること、ならびに紛争の防止のために交渉を行なう意思があれば組合はこれに応ずる意志があること等を通告した。

<証拠省略>

(三)  公社の実力行使対策

公社は、組合に対して、三月七日口頭で実力行使計画の中止を要望するとともに、さらに三月一四日組合が違法な行為に出たときはこれに参加した者は戒告、これを指導した者は解雇をふくむ厳重な処分を行なう旨の警告書を交付する一方、三月一〇日付本社運用局長、営業局長の各電気通信局長宛依命指示をもつて、拠点局における通信の確保、通信器械の保全をはかること、そのために当該局所の管理者と周辺の局の管理者を最大限に動員して事態に対処することを指示した。

信越電気通信局(以下、単に通信局ともいう)運用部長等は、この指示をうけて管内局所にその旨を指示し、新潟電気通信部(以下単に通信部ともいう)管内の三拠点と長野電気通信部管内の三拠点に各局課長以上の管理者をそれぞれ配置することを命じ、これに応じて各拠点に公社管理者が分散配置された。

長岡には、通信部長の命をうけて一五日、同部次長伝田今朝春の指揮下に周辺局から三一名の管理者が配置され、伝田次長らは太田長岡局長、竹山同局次長等同局管理者をまじえて実力行使の際の要員配置等の対策を協議のうえ、同日午後六時ごろ管理者四〇名ぐらいを局内に集めて計画を周知させそれぞれの配置につけた。また通信局長は、同日長岡が新潟における拠点局に指定されたことが判明するとともに新津に配置した二〇名ぐらい、三条に配置した三〇名ぐらいの管理者を長岡に移動させ、偶々三条局に派遣されていた通信局労務課長小泉友利を長岡における同局の責任者として長岡局に急行させた。小泉労務課長は、一六日午前一時ごろ長岡に到着し、本多屋旅館に本拠を置いて長岡局外にある六〇名ぐらいの動員管理者を指揮した。

<証拠省略>

(四)  団体交渉決裂と実力行使突入

公社と組合との間の中央交渉委員会における団体交渉は、三月一三日まで賃上げ問題を中心として進められてきたが、妥結点が見出せないまま一四日に至つて公社において公共企業体等労働委員会に調停の申請をしたので、以後これをのぞく諸問題について交渉が進められた。実力行使の前日である一五日の団体交渉は、懸案の要員協定問題について、組合が要員に関する労働協約の締結を強硬に主張するのに対して公社はこれが管理運営事項に属するものであるとの主張をくり返して進展は見られず、一時中断のあと徹夜でつづけられたが、その間に各拠点からつぎつぎと職場放棄を開始した旨の連絡が入つてくるようになつたので、公社側は午前八時二八分団体交渉を打ち切ると述べてここに交渉は決裂した。

長岡局ではこれよりまえ、組合においては中央団体交渉の物わかれは必至とみて、各地から動員された組合員を、さきに決定した計画にもとづいて正門、通用門、電話交換室入口等それぞれ分散させてピケラインを張り得る態勢のもとに待機させ、これにさきに決定した各部署の指揮者を配置し、連絡員を定め、大野派遣中闘以下の指導部は、局内の組合事務室にあつて公社管理者の動きを注視するとともに中央交渉の経過に注目していた。

公社側は、組合の実力行使中自らの手で必要最少限の電話疏通を確保するために、管理者の手によつて三五二回線を残して、残り四三五八回線について試験室の弾器盤に絶縁片を挿入する作業を進める一方、組合側の局舎内外のピケツトラインを管理者多数を派遣して実力によつて排除しても電話疏通業務を確保しようと決意を固め、局舎内の管理者は、伝田次長の指揮のもとに一五日午後八時、八時四〇分、一六日午前九時、九時四〇分にそれぞれ一四名ないし二四名ぐらいの人員で電話交換室前のピケを強行突破して交換室に入ろうとしたが、その度に組合員らに阻まれて目的を達することができず、その際本件紛争の一部が発生し、局舎外、本多屋旅館に集合した管理者も、同日午前四時五〇分ごろから六時ごろまでの間、および九時三〇分ごろ、小泉労務課長の指揮のもとに六〇名ぐらい一団となつて局舎正面玄関から局内に突入しようとしたがこれまた組合員および支援の地方議員団のピケツトに阻まれてその目的を遂げず、その際本件紛争の他の一部が発生した。

しかして、三月一六日午前七時四五分から午前九時五七分ごろまでの二時間余の間、局舎通用門前広場で、支援労組員をあわせて一、七〇〇ないし一、八〇〇名による時間内職場大会が開催され、宿直交換手が勤務時間終了によつて退出した午前八時三〇分以後は長岡局勤務の組合員全員が職場を離脱し、電話疏通業務は電話交換室で勤務についた六名の管理者によつて運営された。

<証拠省略>

三、三条電報電話局事件の発端とその経過

(一)  電話応答遅延問題の発生

三条電報電話局(以下単に三条局という)は、昭和三五年当時その電話加入数において新潟、長岡についで新潟電気通信部管内第三位を占める大共電式手動局であつて、同局に勤務する職員はその多数をもつて労働組合を結成し、全電通新潟県支部の下部機関として全電通新潟県支部三条分会(以下三、では単に分会という)と称した。

三条分会は、全電通第一一回(昭和三四年)、第一二回(昭和三五年)全国大会の運動方針にもとづき、組織を強化し組合員の要求を結集して、局長(当時前島袈沙雄)以下の管理者に対して労働量の軽減や執務環境の整備等を要求し、労働協約化をはかるなど精力的な職場闘争を展開し、公社側から「三条局における職員の組合意識はきわめて高い」(押収してある「三条局労使関係正常化について」と題する文書、押7)と評された。

ところが、同年秋ごろから電話応答が遅いことが一般に取沙汰されるようになり、直接同局への苦情持込から同年九月ごろには新聞投書、昭和三六年一月に電話の出をよくする市民大会、同年二月には三条市議会において公社総裁、通信局長、通信部長および三条局長に対する電話疏通事務改善を要望する決議、三条商工会議所における局への電話事情改善打合会とそれに伴う通信局、三条局への陳情等にまで発展し、地域社会における社会問題にまで発展した。

そこで、同局でも、昭和三五年一一月一日付、同局長名義で電話の利用回数に比べて交換要員が不足している実情を説明し、交換要員の増加と設備の改善をはかるよう努力することを述べた文書を配布し、通信局長あるいは三条局長においても右の決議や陳情に対して早急に対策を講ずることを約していた。

<証拠省略>

(二)  電話遅延解決策をめぐる労使対立の激化

組合は、電話応答遅延が大きな問題となつてくるのを一つの契機として、市民の間の動きと呼応して労働強化に反対するとともに、要員増加や設備改善要求などの三条分会における諸問題の有利な解決を企図して、県支部執行委員による現地調査、県支部と分会との合同闘争委員会開催など職場闘争の態勢固めを急ぎ、また県支部役員を三条に常駐させて闘争を指導させることとした。

公社は、電話応答遅延に対する対策として臨時者一〇名を増員する一方、昭和三五年末来通信局から労務課長小泉友利、労務調査役宮下勝人等を派遣して応答遅延の原因を調査した結果、電話遅延の主要原因は直接的には運用要員の短期欠務(休暇取得率)が非常に高く、他局が平均一二パーセントぐらいであるのに三条局は一六ないし一八パーセントに上るという事情によるという結論を出し、しかして短期欠務率の高さは三条局管理体制の弱体と分会の組織の強さの力関係のもとで分会所属組合員が必要以上の休暇を取得するのを拒むことができない現状にあることに起因し、単に休暇取得のみならず同局における服務規律そのものが弛緩しているので同局における管理体制と職場規律の強化をはかることが根本的な解決策であると考えるに至つた。

そこで、公社もまた、電話応答遅延を一つの機縁として、管理体制を強化し、従来の分会に対する姿勢と所属職員に対する態度を基本的に改めて強硬な姿勢をもつて臨むことを企図するに至つた。

即ち、昭和三六年一月二五日前島局長の退職に伴う局管理者側の人事異動によつて局長に竹村常守を任命し、新たに次長制を新設して次長に長野電気通信部労務厚生課長宮沢竹義を任命し、労務厚生課を新設して課長に小林正八を任命し、電話運用課の副課長を三名増員して五名とする等の一連の配置をおこなつた。

そして、同年二月六日から八日の間通信局において、同局大内田運用課長、山浦職員部長、小泉労務課長等、通信部竹森部長、伝田次長、三条局竹村局長および宮沢次長が集合のうえ、三条局における業務運営の現状を各機関提出の資料や三条局の報告にもとづいて分析し、これに対処すべき公社の対策の方向について検討をおこなつた。

さらに、同月二六、二七日の両日にわたつて通信局において、前回と同様に同局、通信部、三条局の担当者が集合して事務打合会を開催し、さきの会議における検討の結果とその後の状況の把握のうえに三条局の労使関係の現状を是正するための基本的な方針を確定した。ここでは、電話サービス改善と職場規律を回復する手段として、欠務率の低下とそのために諸休暇取得の現状を手続的にも実際的にも改めるということを主要な柱として、団体交渉の方式を正常化すること、部内部外に公社の態度の正当性を広報すること、規律を厳正にすること、業務の正常化を妨げている労働協約を実効のないものとすることに全力をつくすことを決定し、これらの方針は爾後公社の三条局における組合および職員に対する諸施策の基本となつた。

そして、業務の正常化を妨げていると目されている現場段階での労働協約を「ヤミ協約」と呼んで、本格的な闘いの目標はヤミ協約の破棄にありとし、三条局において破棄すべき労働協約として二八の協約をあげたが、このうちに昭和三一年七月三一日付年次有給休暇の付与についての協約、昭和三四年八月二七日付生理休暇の請求についての協約、昭和三四年一一月二四日付病気休暇についての協約があげられていた。

<証拠省略>

(三)  休暇に関する三協約と公社の新たな措置

1 三条局対策の過程で、公社が「ヤミ協約」としてあげた休暇に関する三協約はつぎのものであつた。

(1)  年次有給休暇(以下単に年休という)についての協約は、昭和三一年七月三一日付確認書であつて、電話運用課における年休請求は年休予約簿をもつて行い、これに記入し提出することによつて請求の意思表示とみなす、予約簿によらず直接口頭、電話、依頼による請求でもよい、請求はなるべく二日前に予約簿に記入するようにつとめるが止むを得ない場合は当日でもよい、との内容を骨子とするものである。

(2)  病気休暇(以下単に病休という)に関する協約は、昭和三四年一一月三〇日付確認書であつて、二日以内の病休については診断書の提出が困難な場合があるのでこの場合診断書は不要とし、事務処理上その理由書を提出する、ということを内容とするものである。

(3)  生理休暇(以下単に生休という)に関する協約は、昭和三四年八月二七日、二八日、第二四回団体交渉記録書である。

即ち、組合「生理に有害な業務とは女子年少者(労働基準)規則一一条に定めてある、交換作業はその第二、三項に該当する。」公社「該当するが明文がない。」ついで組合から「生休の本来の趣旨については組合側の見解として出されたものについて一致する。」との確認を求め、公社は二八日冒頭「昨日の集約でよい、好ましくないことが出来た場合は相談する。」と述べ、交換作業に従事する者の生理休暇に関して分会の見解を承認した。

2 ところが、三条局当局は、さきに通信局等との間に協議して決定した方針にもとづき、右の各協約にもとづいて行われている諸休暇取得の方法をつぎのように改めることを決定し、これを昭和三六年三月四日、同日付の局長名義「職員各位」と題する書面に作成して所属職員に手交し、この措置を同月一一日から実施する旨通告した。

即ち、<1>、年休については、電話運用課職員はひとまず年休予約簿によつて請求し、課長(不在時は副課長)の内諾を得たのち年休附与簿に記入・押印のうえ課長に提出してその承認を得ること、<2>、病休については、病休願に記入・押印のうえ医師の診断書を添付して所属課長に提出、承認を得ること、<3>、生休については、生理のため就業が著しく困難であつて生休を受けたい者は特別休暇願に記入・押印のうえ所属課長に提出してその承認を得ること、というのである。

さらに三月九日、ふたたび局長名義で職員全員に対し、今回の措置は公社と組合との間の中央協約および就業規則等の規定どおり実施しようとするものであること等、四日付の通告を補足した「職員各位」と題する書面を手交した。

<証拠省略>

(四)  注意書の交付

1 前示三月四日付「職員各位」の配布とともに三条局職場交渉委員会において団体交渉が開かれ、三月四日、八日、一一日とつづけられたが、分会は今回の措置の撤回を要求し、局側は休暇取得手続に関する措置は管理運営事項に属することを主張して意見の一致を見ることなく、団体交渉事項に属するか否か、また分会側に交渉委員以外の者が在席していること等をめぐつて紛糾し実体的交渉に入ることができず、また同一〇日の支部交渉委員会においても県支部側に交渉委員以外の者が在席していることを理由に公社側が団体交渉を拒絶した。

そこで、組合は、信越地本委員長名義で同月一二日、公共企業体等労働委員会新潟地方調停委員会に三条局職場交渉委員会の団体交渉再開とその間の休暇取得の新手続の実施中止についてあつせんを求める申請をしたが、局側は右あつせん申請中の同月一七日、三たび局長名義で新しい措置が遵守されていないとして、前示の手続によらずして出勤しなかつた場合には厳正な措置をとること等を警告する「職員各位」と題する書面を交付した。地方調停委員会は一八日、団体交渉再開のあつせん案を提示し、これに従つて労使双方は以後地方交渉委員会で交渉をつづけたが、従来の主張がくりかえされるのみで進展はみられなかつた。

この間、三条局職員の中には三月四日付「職員各位」に示された趣旨にもとづいて休暇取得の手続をする者もあつたが、多くは従前の手続によつて請求し、組合において、新たな手続に従わないように情宣活動を行つたため、これを遵守する者は殆んどいなくなつた。

しかして、三条局当局はこれに対する対応策として、休暇取得手続違反者に対して同月一四日、局長名による注意書を交付して処分をもつて警告するという強硬策をとることをきめた。

2 三条局当局は、同日午後二時ごろから休暇手続違反者の総数五〇名ぐらいのうち勤務に就いている者一八、九名に対して各所属課長から直接注意書を手交していつた。

分会では、直ちにこのことを県支部に連絡するとともに当局に注意書の交付を抗議して団体交渉を要求し、また緊急職場大会と称して非番者を集合させ、これらの者は局長室内に立ち入つて喧噪をきわめた。県支部は、分会からの連絡に応じて被告人八木を三条に派遣し、同被告人は同局において注意書の取りまとめ一括返還や職場大会等の指示をおこなつた。同日夕刻、当局側は同日の夜勤者・宿直者中の該当者に対しても注意書を交付することとしたが、電話運用課の九名については課長が不在であつたので、三条局次長宮沢竹義が竹村局長の命をうけて交付をおこなうこととなり、同課内で該当者を呼び出して交付を行おうとしたところ、最初に呼ばれた中村ミエ子は、このようなものを貰う覚えはない、として受取りを拒み、つぎに呼ばれた五十嵐智恵子は注意書を交付される理由が納得できないから説明して貰いたい旨要求した。

この間に、被告人八木は、電話連絡をうけて急拠分会事務室から電話運用課内に至り、宮沢次長の行為を非難し詰問したので、この模様を連絡によつて知つた竹村局長が交付が無理なら中止してもよい旨指示し、この旨をうけて宮沢次長は注意書の交付を断念して局長室に引きかえした。

<証拠省略>

第二罪となる事実

第一、被告人島名由松、同八木信夫および同大滝保は、昭和三六年三月一六日早朝から長岡市観光院町甲九一二番地長岡電報電話局正面玄関前において、同日始業時から午前一〇時まで同局で同局勤務組合員によつて開催される職場大会に対処して入局することあるべき公社管理者等を阻止するために、同局前にピケツトラインを張つている組合員らを指揮し、あるいは自らこれに加わつたりしていたところ、

(一)  同日午前五時すぎごろ、同局前のピケツトラインに四列縦隊となり腕を組み合わせて来た管理者の一群の中にさきごろまで組合に所属してその十日町分会長を勤めたことのある田口光春の姿を認めてその非を問詰するうち、被告人八木は「お前だけは勘弁ならん、出て来い。」と言いながら右田口のオーバーの襟を掴んで引張りその背後の雪壁に押しつけ、被告人島名もその場で、「田口、野郎でてこい。」と言いながら同様にしてオーバーの右襟を引張り、また被告人大滝は「管理者の犬は叩き出せ、何だ、この野郎。」と言いながら同様にしてそのオーバーの襟を掴んで引張り、よつていずれも右田口に暴行を加え、

(二)  その直後、同局前において前示田口が問詰されているのを認めて割りこんで来た本多末作に対して、被告人島名は「何だ、組合の邪魔をするのか、生意気だ。」などと言つてその左肩を掴んで引張り更に胸部を押してその背後の雪壁に押しつけ、被告人大滝は「早くうせろ」と言つて同人の肩を突き、よつていずれも右本多に暴行を加え、

(三)  被告人大滝は、同日午前九時三〇分ごろ、ふたたび同局前ピケツトラインに四列縦隊となつて腕を組み合わせて突入して来た管理者の一群を他の組合員等とともに同局通用門附近道路上の雪壁まで押し返した際、その中にいた半田重雄の咽喉部を腕で押して雪壁に押しつける暴行を加え、清滝嘉策の首に腕を巻つきけ、左足を両腕で引張るなどの暴行を加え、

第二、被告人八木は、同年四月一四日、三条市一の町三〇七番地三条電報電話局において同局局長が所属職員に対して行なつた諸休暇の附与手続に関する指示の撤回を要求する闘争の指導にあたつていたところ、同日午後八時一五分ごろ、同局電話運用課において同局次長宮沢竹義が右指示に従わない者に注意を与える書面を交付しようとしているのを知り、同人に対してその非をなじつたが、同人がこれに取り合わないで席を立とうとしたのを憤つて、平手で同人の襟元を強く押し、その衝撃で同人が椅子に腰を落した際に椅子の肘で同人の胸部を強圧させ、よつて同人に治療二週間を要する左胸部挫傷を負わせ、

たものである。

第三証拠の標目<省略>

第四公務執行妨害罪の不成立について

一、公社職員の性格

日本電信電話公社法第一八条を準用した同法第三五条は、公社職員を罰則の適用に関しては法令により公務に従事する者とみなすと規定している。その趣旨とするところは、公社職員が公務に準ずるようなきわめて公共性の強い業務に従事するものであるところから、これに公務に従事する者と同一の責任と保護を与えようとするものであると考えられる。この意味あいからすれば、同法条に「罰則の適用に関しては」とは職員がその主体となる犯罪と職員がその客体となる犯罪とのいずれの場合にも職員を法令により公務に従事する者とみなす趣旨と解さなければならない(最高裁判所昭和二三年一〇月二八日判決刑集二巻一一号一四一四頁、最高裁判所昭和三二年六月二七日刑集一一巻六号一七四一頁)。従つて、公社職員は公務執行妨害罪の客体となり得るものであり、その遂行する職務は公務執行妨害罪の規定によつて保護されるものといわなければならない。

二、長岡局事件関係

(一)  被害者らの職務権限

田口光春、本多末作、半田重雄および清滝嘉策は、いずれも公社職員であつて、いずれも当日長岡局の業務応援のために同局に派遣され、通信局業務課長小泉友利の指揮のもとに組合員の職場放棄による緊急事態下の長岡局における電話疏通の確保、通信器械の保安等の任にあたるため局舎内に立ち入ろうとしていたものである。即ち、田口光春は当時新潟県村松電報電話局業務課長であつたもので、同局板村局長の命を受けて新津電報電話局において通信局職員課長市川寛の指揮下に入り、拠点局が長岡に決定したのに伴つて同人の命により長岡局に移動して前示小泉の指揮下に入つたもの、本多末作は当時通信部長岡駐在所機械工事課長であつたもので、同所遠藤所長の命により前示小泉の指揮下に入つたもの、半田重雄は当時通信部計画課長であつたもので、同部竹森部長の命をうけて長岡に赴き前示小泉の指揮下に入つたもの、清滝嘉策は当時新潟県村上電報電話局電話運用課副課長であつたもので、同局長の命で新津電報電話局で前示市川の指揮下に入り同人の命により長岡に赴いて前示小泉の指揮の下に入つたものである。

<証拠省略>

そして、以上の各局所長の田口ら各被害者に対する命令は、公社本社運用局長等の信越電気通信局長に対する管理者動員に関する依命指示およびこれにもとづく同局運用部長等の各局所長に対する同旨の依命指示によるものであることはすでに認定したところである。

以上の次第で、被害者らは、いずれも公務に従事するとみなされる者であつて、現に電話疏通等の職務を遂行しようとしていたものである。

なお、付言すれば、田口らは、電話疏通等の職務を執行中であつたものではないが、これらの職務を遂行するために局舎内に立ち入ろうとしていたものであるところ、刑法第九五条第一項に「職務を執行するにあたり」とは、職務の執行に際して、の趣旨と解されるべきであつて、職務の執行中および職務の安全な執行を確保するのに必要な範囲内でこれに時間的、空間的に密着した前後をもふくむものといわなければならないから、この立入り行為が適法になされるかぎり、これを暴行、脅迫をもつて妨害したときには公務執行妨害罪の成立を妨げないものである。

(二)  職務執行の適法性

公務員または公務に従事する者の行為が公務執行妨害罪をもつて保護されるためには、その行為が権限にもとづくものであることを要するとともに、その行為は適法な職務執行行為であることを必要とするものといわなければならない。

公務の執行は、それが国家公共の利益の実現を目指しているものであるが故に、その他社会一般の業務に比して厚い保護をうけているものであるが、その行為の内容が国家公共の利益の実現をはかるものであるからといつて、それを理由にこれがどのような場合でも許容され保護されるというものではない。職務執行行為が刑罰法規による保護に、しかも他から優越した保護に値するというためには、それが何人もこれを相当として是認するようなものでなければならない。

違法な職務執行行為が、ただ公共の利益を実現すべき職務の執行であるというだけで是認され、かかる場合に違法な執行行為によつて侵害されるべき個人的利益を擁護するための対抗行為が、公務執行妨害をもつて処断されるような事態は到底許容しがたいことである。

そこで、本件公訴事実はいずれも公務執行妨害またはこれをふくむ事案であるので、被告人らの行為を確定し得る場合において、被告人らが妨害したものとされた公務の執行が適法におこなわれたものであるかどうかを事実に即して検討してみなければならない。

(三)  公社管理者らによる局舎立入の態様の検討

1 早朝の実力行使

(1)  三月一六日早暁、本多屋旅館に集合した公社管理者六〇余名は、同日午前四時半ごろに至つて前示小泉労務課長の指示で同旅館前路上に整列し、最前列に左から市川、小泉、通信局職員部草間労務調査員、通信部高野労務厚生課長、通信局経営調査室水谷調査員の五名、以下通信局、通信部、各電報電話局の順で各所属局所に従つて五列縦隊の隊伍を組み、小泉課長が「これから長岡局に入つて業務応援をするが局前にピケが張つてあるのでピケを排除して入局する。局内に入つたら再度担務をきめる。」と指示を与えたうえ、同日午前四時五〇分ごろ長岡局正門前に向つた。管理者らは、同旅館前道路から長岡局前に左折したころ、前列からの指令で、互いに腕を組みあわせ手をポケツトに入れてスクラムを組んだ隊形で進んでいつた。

<証拠省略>

(2)  組合側では、長岡局正面玄関前に、最前列に県支部闘争委員が、右から加藤県支部拡大闘争委員、被告人八木、荒井、斎藤各拡大闘争委員、太刀川県支部副委員長の順に、第二列目に組合出身の地方議員団、石田庄治、池亀高司、杉田、藤井、矢部の順にいずれも局舎を背にしてスクラムを組み、その背後の正面扉内外に支援組合員が位置を占めてピケツトラインを形造つていた。小泉課長以下の管理者たちはその前で一旦停止し、小泉が組合員らに向つて「局に入るからあけろ」と言い、被告人八木がこれを言下に拒絶してその後二、三短かい言葉のやりとりの後、僅かな時間をおいて、小泉の合図で、六〇名余の管理者たちは、スクラムを組んだまま一斉に組合員のピケツトラインを押しやぶるべくこれに正面からぶつかつていつた。

管理者らは、総員の力をあわせてピケツトを張つた組合員らを押し、組合員らのこれに抵抗して踏みとどまろうとする力を圧倒して正面玄関のコンクリート階段上までこれらを押しつけ、ピケツトラインの前列を玄関の柱や扉に押しつけた。管理者らの間には、この間、列内から足を出して組合員らを蹴りつける者があり、組合員らのスクラムの中に肩で分け入ろうとする者があつた。しかし、騒ぎをききつけた組合員、支援労組員らがピケライン後方の正面玄関内外からこれを支えて管理者らを押し返したため、これらの者は一旦後退を止むなくさせられた。

管理者らは、五列縦隊の隊列を組み直してふたたびピケツトラインに突入し、押しあるいは押しかえされるというもみ合いをつづけて後退し、このようにして午前六時までの間に、前後四回にわたつて、組合側のピケラインと衝突をくりかえした。

そして、四回目に突入していつたときには、大量に増員された支援労組員に逆に押しまくられて正面玄関前道路反対側の雪壁附近に押しつけられることとなり、ここに至つて小泉課長の指示で突入の試みを中止して引き揚げた。

この間、管理者らのピケ排除のための実力行使は、「何としてでも入ろう、身体をねじつてでも入ろうと思いました」「暴力ではありませんが何とかして入ろうと思いました」(11回公判調書中、市川証言)「力いつぱい押しました」(12回公判調書中、田口証言)「何とかして局内に入りたいということで押していつたのですが……」「私は一生懸命になつて押しました」(14回公判調書中、半田証言)等の被害者らの証言によつて明らかであるように、六〇名余の多衆の力を集中してピケラインを崩壊させて局内に入ろうと試みたものであつて、これによつて組合側のピケは一旦は正面玄関の柱や扉の附近まで押しつけられたことは前示のとおりである。

<証拠省略>

2 職場大会開催中の実力行使

同日早朝の実力行使後、本多屋旅館に立ちもどつた管理者らは、前示小泉課長の指示により疏通班、渉外班、誘導班その他写真撮影担当などの各自の担務を定めた後、同人の指示を待つて待機した。同課長は、午前七時三〇分ごろ、長岡警察署に赴いて警察隊の出勤を要請した後、午前九時すぎごろ、組合側の職場大会は午前一〇時になつても解散しないかもしれないとの判断のもとに、市川職員課長に命じてふたたび管理者を集合させ、午前九時二〇分頃、国道八号線の長岡局前道路への曲り角附近において、業務応援のため再度入局を試みる旨の指示を与えて、最前列に右から前示水谷、市川、小泉、半田計画課長、草間以下さきと同様の順序の五列縦隊となり、互いにスクラムを組んで正面玄関に向かつた。出発してまもなく、組合側地方議員団の石田庄治、池亀高司、矢部京一郎の三名が駆けよつて、小泉課長らに対して「まだやるのか。もうやめてくれ」等と言つて制止しようとしたが、同人は「どうしても入局するのだ」と言つてこれに取合わず進行を続け局舎前に至つたので、前示太刀川、被告人八木ら地本や県支部の役員七、八人が管理者らの行手を阻んで立ちふさがつたところ、これらの者が小人数であるので一気に押しまくつて進んだが、水品県支部委員長の指令で職場大会に参加していた組合員多数が駆けつけ、組合役員らを助けてその場で数回もみ合いの後勢を駆つて一挙に押しかえしたので、管理者たちは押されて後退し、道路端の雪山に押しつけられて分断されそのまま入局を諦めた。

<証拠省略>

(四)  管理者らの行為に対する評価

以上に認定した事実の基礎のうえに立って、ここにあらわれた公務執行行為としての入局行為の適法性に立ち入って考えるのに、そもそも公務の執行は往々にして個人の利益と衝突し、これを侵害するものであり、就中他人の意思に反し他人の意思を排除する実力、所謂強制力を用いる職務執行はその危険が更に大なるものであるから、職務執行としてもしくは職務執行に際して他人または他人の物に対して強制力を行使することは法令による厳格な制約をうけるべきものといわなければならない。即ち、職務の執行に際して強制力を行使し得る公務員または公務に従事する者の資格は、通常法令によつて定められ(司法警察員、鉄道公安員、専売監視など)、さらにこれら権限を有する者がその権限を行使し得る場合と行使の要件も法令の規定するところである(被疑者の逮捕、令状による臨検、捜索、差押など)。

しかして、法令に強制力行使の根拠規定がないのに職務の執行にあたつて実力を行使することは法の許容しないところであつて、かかる場合における実力の行使が違法であることは自明である。

公社職員については、たとえば司法警察員の犯罪捜査権限を規定した刑事訴訟法のように、また公社と同様の公共企業体である日本国有鉄道における鉄道公安職員の鉄道施設内における犯罪捜査権限を規定した鉄道公安職員の職務に関する法律、日本専売公社における専売監視の臨検、捜索、差押の権限を規定したたばこ専売法、国税犯則取締法のようにその職務と条件に応じて他人または他人の物に対して強制力を行使し得ることを定めた法令のないことは、日本電信電話公社法、公衆電気通信法その他関係法規に照らして明らかである。従つて、公社職員は、その職務の遂行が困難にさらされる事態が生じたとしても、他人の意思に反し他人の意思を排除する実力を用いて職務をおこなうことができないものである。

しかるに、前示田口、本多らの被害者をその中にふくむ公社管理者は、長岡局の局舎内に立ち入ろうとするにあたつて組合員らのピケラインに意図的に突入し、六〇名余の多衆の勢力をもつてピケラインを排除しようとしたものである。しかも、その態様は、ピケを組んでいる組合員らに対して穏やかに条理を説いて説得するというのでもなく、事情を明らかにして協力を求めるというのでもなく(組合がこれに応ずるかどうかはこれと別次元の問題である)ただひたすらにピケ排除と局舎内への突入をはかり、ピケラインの組合員らの身体に自らの身体を接触させ接着させるのはもちろんのこと、肩で押し分け多数をたのんで押しつけ、ピケラインを後退させるに至ったものである。

右のような状況は、他人に対して実力を行使したもの、強制力の行使であることは明らかであつて、日常生活においてたとえば雑沓をかきわけて目的地に至るというように社会通念上許容されるところのものと明らかに質の異るものである。

以上の次第であるから、結局、前示田口ら被害者らをふくむ公社管理者は、疎通業務に就くために長岡局舎内に立ち入ろうとした際、何ら正当の権限なくしてピケツトラインにある組合員らに対して強制力を行使したものと結論しなければならない。従つて、その点において、同人らの職務執行行為は違法であつたものである。

この理は、本件ピケツトラインが適法なものであるか違法なものであるかによつて差異を生ずるものではない。ピケツトラインが違法のものとしても、自救行為等の緊急行為に該当する場合はいざ知らず、違法な職務執行行為が適法に転ずるわけではない。

このような事態に際会して、もし違法なピケラインによつて公務執行が妨げられたというのであれば、管理者としてはこれを除去するために適切な法律上の手段に訴えるべきであつて、そのことを外にして敢て自らの実力を振うことが許されるものとするならば、民事上の救済手段(通行妨害禁止や建物明渡の仮処分等)、あるいは警察力による犯罪の予防制止を求めることなどは全く必要のないものとなつてしまう。

本件のような場合、組合側の入局阻止行為が違法のものであるならば、警察官の出動と警察力によるピケの排除を求めることは公社側にとつてそれ程困難なことではない。本件の早朝の場合には入局すべき時刻が警察官の到着を待つことができないほど切迫していたわけでもなく、職場大会終了前の場合は小泉労務課長の要請で長岡警察署の警察官相当数が現場附近に到着していたものである。また、仮に本件のピケラインが一定の実力行使の権限を有する警察官によつてさえ排除することを許されないものであつたとするならば、これをしも公社管理者の手で排除しようとすることはまことに暴挙というほかはない。

被害者らの入局のためのピケ突入行為は、権限なくして実力行使に至つた違法な職務執行行為として法律の保護に値しないといわなければならない。従つて、これを暴行または脅迫をもつて妨害したとしても、公務執行妨害罪は成立しない。

三、三条局事件関係

(一)  被害者宮沢竹義の職務権限

公社の職制によれば、電報電話局長は所属の職員等を指揮監督してその局の事務を執行する職責を有するもの、次長は局長を助けて局務を整理する職責を有するものであるところ、宮沢竹義は本件当時三条局次長が職にあったものであり竹村同局局長の命をうけて同局長の権限に属するところの所属職員に対して注意を与えるための注意書の交付をしようとしていたものであることはさきに認定したところである。

なお、本件の暴行は、宮沢が注意書の交付を断念して立ち上ったときになされたものであるが、長岡局事件について述べたと同じ理由で、本件の場合にも公務執行妨害罪の適用に妨げがあるものではない。

(二)  職務執行の適法性に関する判断

1 宮沢次長の本件職務執行行為についても、その適法性を検討しなければならないが、注意書の交付はそもそも新たに実施された諸休暇の取得手続に違背した者に対して注意を与えるためであったのであるから、注意書の交付行為の前提となつているところの右の新たな手続そのものが適法なものであつたかどうかを吟味しなければならない。

2 年休取得手続

公社側が新たに定めた手続と従来年休協約(乙9)によつて労使間に合意されていた手続との間には、本件が関連している電話運用課に関するかぎり重要な差異がある。

まず、従来予約簿一本であつた請求方法が、予約簿と附与簿との二重のものとなつた。尤も、従来も附与簿そのものはなかつたわけではないが、現実には電話運用課の課内経理担当者が後に予約簿から移記して処理していたのである(26回公判調書中窪田太志知証言)。つぎに、従来口頭、電話、依頼による請求を明示で認めていたのにこれを明記しなかったばかりでなく、公社側内部では右のような方法による請求は許可しない方針でいくとの方針を統一しており、新手続によれば請求事由の記入と押印を要求しているのでこの面からも事実上右の方法は不可能なこととなつた。

以上の二点は、相俟つて職員の年休請求を従来より困難にし、職員にとつて不利益なものとしたことはたしかである。また、欠務率低下が公社の措置の本来の目的であったわけであるから、そのような結果となることはまた、当然というべきである。してみると新手続は、有効に存続し且つ従来の労使関係を規制していた労働協約に違反するものであるといわなければならない。

また、付言すれば、新手続中、課長の内諾あるいは承認を要求している点は、その字義どおり承認を休暇取得の要件とするものとすれば、労働基準法に違反するものである。

即ち、年休はもともと労働者の権利に属することがらであつて、これを取得するとしないとは、またいかなる時期に取得するかは、本来その者の自由に属することであり使用者の側の承諾あるいは拒否の意思のかかわるところではない。使用者にはただ、業務の運営に支障を生ずる場合にこれを他の時季に振りかえる、いわゆる時季変更権が留保されているにすぎない。これが労働基準法第三九条第三項の趣旨であつて、公務員の場合は別として公共企業体等における労使関係にはそのまま妥当するものといわなければならない。

そうであれば、新手続を労働基準法に牴触しないように理解するには、内諾あるいは承認は、時季変更権を行使し得るという形でのみ意味のあるもので、「内諾を得ること」「承認を得ること」それ自体は、本来無意味の文言として扱うほかない。

3 病休取得手続

新手続は、二日以内の病体につき、診断書にかえて理由書を添付することを明示で禁じていない。しかし、協約(乙102)にもとづく従来の診断書不要の取扱いを許容する趣旨ならば、「職員各位」によつて周知させる必要もないので、公社の新手続は、一切の病体について診断書の添付を要求するものと解しなければならない。公社の内部においても右協約をすでに破棄すべきヤミ協約の一つにかぞえ、且つ、二日以内の病休に診断書を不要としたのは提出が困難な事情にあつたからであつて、いまは提出が困難でないとして出させること、という見解を統一している(前示宮沢、窪田証言、乙58)。右の意図に出た新手続は、少くとも二日以内の病体に関する限り協約にもとづく従来の手続を不利益に変更したものであつて、協約違反といわなければならない。

4 生休取得手続

(1)  協約によつて、三条局労使間に交換業務が女子年少者労働基準規則にいわゆる有害業務である旨の確認がなされた結果、交換業務に従事する者は生理日であることさえ明らかにすれば生休を附与されるべき筋合である。それ故、他の業務に従事する者はさておき、交換業務に従事する者に関するかぎり、生休の要件が新手続によつて厳格になったことは明白である。そして公社においては、生理のため就業が著しく困難であることは請求者が立証すべきことであるとして、請求があったときは本人の生理日の周期および期間、苦痛の最も激しい日、その苦痛の度合等を逐一質問することとしている(前示、押12)のであるから、これがそのまま運用されるならば、交換業務をおこなう者の生休取得は著しく困難になつたものといわなければならない。

(2)  手動式における電話交換業務は、一定の執務時間中一定の範囲の電話回線を担当して加入者からの通話申込に対して即座に応答し、申込に応ずる電話疏通事務をおこないあるいは市内、市外の電話番号の案内その他の調査回答をおこなう等、多数不特定の且つ交換手の態勢のいかんに何らかかわりなしに外部から申込をしてくる加入者の需要に刻々応ずるものであるから、女子年少者労働基準規則第一一条第一項第三号にいわゆる「任意に中断できない業務」に該当するといわなければならない。交換業務にあつても座席監督および休憩代理要員がいるから許可を得て作業を中断することができ、従つて交換業務は任意に中断できない業務に該当しないとの見解があるが、この論理を是認すればおよそ任意に中断できない業務というものは存在しないことに帰する。同号の解釈として任意に中断し得るとは、ある程度本人の自由な裁量で他からの代替を受けることなしに一定の時間その作業を中止して休息をし、あるいはその他の必要な用務をおこなうことができ、それでいて業務の全体としての円滑な遂行に妨げを生じない場合のことをいうものと解さなければならない。交換作業がこのような意味で中断可能の作業でないことは、近藤芳子証言(37回公判調書)、星野和子証言(37回公判調書)、証人長橋千代尋問調書によつても認められるのみならず、殆んど公知の事実である。それにもかかわらず、公社が交換業務に従事する者に対しても生理のために就業が著しく困難であるとの理由でなければ生休を附与しないものとしたのは、前示規則の解釈を誤り、労働基準法第六七条第一項に違反するものであるといわなければならない。

5 公社は、新手続を実施するにあたつて、休暇取得手続に関する規制は公社の管理運営事項に属することがらであるから団体交渉事項でなく労働協約事項でないから自由に定めることができるとの見解、また右の規制は公社と組合との中央交渉委員会において成立したいわゆる中央協約に違反しないから違法ではないとの見解を有していたもののようである。

(1)  公労法第八条第一号にいう「賃金その他の給与、労働時間、休憩、休日および休暇に関する事項」は、いずれも労働条件に関する事項として団体交渉および労働協約の目的となるものである。そして、このうち休暇に関する事項は、休暇の種類、有給無給の別、休暇取得の要件、日数等、休暇の実体に関する事項と休暇取得の際に履践すべき手続や必要書類等休暇取得の手続に関する事項とをあわせ含むものと考えられる。手続に関する規制もその方法いかんによつて労働者の休暇取得の利益をより多く享受させまたはさせないこととなるからである。そして本件にあつては、年休、病休についての規制は手続に関する規制、生休については実体に関する規制であつたということができる。従つて、これらはいずれも団体交渉、労働協約の目的となり得るものであつて、公社の管理運営事項として組合の関与し得ないところのものであるということはできない。

(2)  公社の措置が中央協約に反しないということについて

しかし、中央協約に違反しないということは、その限度で下級の交渉委員会によって締結された労働協約に違反してもよいということを何ら意味するものではない。労働協約はその交渉単位の上、下によつて効力を異にするものではないし、ましてや上級の交渉委員会によつて締結された労働協約が下級のそれによる労働協約を廃止し得るものでないことはいうまでもなく、ただ、協約締結の主体の差異によつてその適用の範囲が広狭さまざまであるのみである。いかなる段階の交渉委員会で締結されたものであれ、それが労働協約としての実質と効力を有しつづける限り、労使間において最大限に尊重されるべき労使間の自治規範であることに何らの差異があるものではない。しかして、労働協約は法規範的な効力を有し、就業規則に優越する効力を有するものであつて、それが適法に失効しない限りにおいて労使の一方がこれを無視しあるいは潜脱することは違法として許されない。協約に牴触するような行為をもつて中央協約に反しないかぎり有効であるというがごときは論外のことである。

6 以上の次第であつて、新手続は三条局における労働協約に違反し、一部分は労働基準法にも違反しているものであるところ、労働協約が法規範的効力をもつて労使間を律していることは前述のとおりであり、労働基準法はその遵守を時に罰則をもつてすら要求されている強行法規であるから、これらに違反する措置は違法であつて遵守することを要しないものである。

従つてまた、右の手続の適法有効を前提としてなされた当該手続違反に対する雇傭関係上の処置としての本件注意書交付もその根拠を欠くものとなり、右の注意書の交付が公務の執行として行われるときは、違法な行為をその公務の内容とするものとして職務執行は重大な瑕疵を有するに至る。本件の注意書交付は、このような違法性を帯びた職務執行行為として、何人もこれに服する義務のないものであり公務執行妨害罪による保護に値するものでもない。

本件についても公務執行妨害罪は成立しないものである。

四、結論

以上に説明したとおり、本件各公訴事実中罪となる事実に記載のいずれの事実についても公務執行妨害罪は成立しないのであるが、暴行または傷害の事実、そのものについてはこれに刑法上の評価を加えなければならないものであるので、単純な暴行罪もしくは傷害罪の成立はこれを認めるものである。公務執行妨害罪はこれと法条競合(暴行罪につき)または観念的競合(傷害罪につき)の関係にあるので主文において無罪の言渡をしない。

なお、暴行の事実は訴因の追加変更等の手続によつて訴因とされてはいないが、暴行罪そのものは個人法益に対する罪ではあるけれども、公務執行妨害罪より縮少された構成要件の形式と見てよいから、あえて訴因の追加変更をまたなくても、その事実を犯罪事実と認定することにより被告人らに対して防禦の機会を与えない不意打ちとなるものではない、と考えられる。

第五法令の適用

被告人らの判示第一の各所為はいずれも刑法第二〇八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、判示第二の所為は刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条にそれぞれ該当するところ、各被告人についていずれの事実についても所定刑中罰金刑を選択し、いずれの被告人についてもその各所為は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四八条第二項により被告人島名については判示第一の(一)および(二)、被告人八木については判示第一の(一)および第二、被告人大滝については判示第一の(一)、(二)および(三)の各罪所定の罰金の各合算額の範囲内で、被告人八木を罰金五、〇〇〇円に、被告人大滝を罰金四、〇〇〇円に、被告人島名を罰金三、〇〇〇円にそれぞれ処する。各被告人が右罰金を完納することができないときは、同法第一八条によりいずれも金五〇〇円を一日に換算した期間各被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用の負担については、刑事訴訟法第一八一条第一項を適用して別紙のとおり各被告人に負担させることとする。

第六訴訟関係人の主張に対する判断

一、労働組合法第一条第二項の適用に関する判断

(一)  公共企業体等労働関係法第一七条と労働組合法第一条第二項

1 検察官は、公共企業体等の職員は公共企業体等労働関係法(以下単に公労法という)第一七条により全面的に争議行為を禁止されているから、全電通にとつて正当な争議行為というものはあり得ない。従つて労働組合法(以下単に労組法という)第一条第二項による刑事免責を受ける根拠はないと主張し、被告人、弁護人は公労法第一七条は憲法に違反しているから同法条があるという理由で、労組法第一条第二項の適用を否定できるものではないと主張する。

2 公労法第一七条が公共企業体等の職員の争議行為を禁止していることは検察官の論旨のとおりである。

しかし、勤労者の団結権、団体交渉権、争議権等の労働基本権は憲法第二八条により保障されているところであるから、これを禁止制限するにはきわめて慎重な態度が必要であることは改めていうまでもない。

この点に関しては最高裁判所大法廷昭和四一年一〇月二六日判決(刑集二〇巻八号九〇一頁)は争議権制限のための四個の条件を掲げていることが注目される。即ち、1労働基本権が勤労者の生存権に直結しそれを保障する重要な手段である点を考慮して、その制限は合理性の認められる必要最小限度のものにとどめること。2労働基本権の制限は勤労者の提供する職務または業務の性質が公共性の強いものであり従つてその職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについてこれを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきこと。3労働基本権の制限違反に伴う法律効果、即ち違反者に対して課せられる不利益については必要な限度をこえないように十分な配慮をすること。4職務または業務の性質上労働基本権を制限することがやむを得ない場合にはこれに見合う代償措置が講ぜられること。以上であつて、当裁判所はこの基準に従つて争議権禁止制限の適否について判断すべきものと考えるものである。

3 そこで公労法第一七条についてこの基準をあてはめてみるのに、<1>、公労法の適用のある事業は、国鉄、郵便等のように国家経済・国民生活の中枢に位置するものもあり、煙草専売や国有林野のように右に比しては相対的に重要度の低い事業もある、また個々の企業体内部でも職種によつて比較的中心的であつてそれが他に及ぼす影響力の大きい業務もあれば、中心的業務の円滑な遂行を助けるための副次的あるいは補助的な業務もある。それらのいずれの事業、いずれの職種の業務が停廃されるかによつて、そのおよぼすところもおのずから異るところのある道理である。

また、業務の停廃の態様というものも、全国的あるいは全面的な規模のものから地域的あるいは部分的なもの、罷業・怠業等から休暇戦術・時間外労働拒否あるいは順法闘争等多種多様のものがあり、それらの争議行為が他に及ぼす影響にも多くの差異を生ずる筈である。

従つて、公共企業体等の職員について争議行為の禁止制限を考慮するにあたつても、その事業により、職種により、また争議の方法いかんにより、その必要があるかどうか個別的具体的に検討を加えるべきであつて、そうすれば職種や争議の方法によつて争議の禁止制限が相当な場合もあろうし、またそれが不必要な場合もあるであろうと考えられる。たとえば電気事業および石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律において、電気事業および石炭鉱業に限定し、且つ電気の正常な供給を停止する行為等々に限定して争議行為に制約を設けているのはそのような考慮を加えた一つの例となるものと考える。

ところが、公労法第一七条による公共企業体等の職員に対する争議行為の禁止は全面的且つ無条件であり、禁止されるべき争議行為の態様についても配慮がなされてはいない。このような争議行為制限の形式が必要最少限のものでやむを得ない制限にあたるか、疑問である。

<2>、同法条による争議禁止に違反した者に対する不利益取扱として、同法第一八条は違反者は解雇されるものとすると規定している。もちろんこの規定は解雇を必要的としたものではないが、この法条によつて違反者の解雇が法律上の根拠を与えられることによつて、すべての公共企業体等職員のすべての争議行為は解雇をもつて脅やかされることを余儀なくされる。かかる不利益が必要な限度を越えないものかどうか疑いを入れる余地がないであろうか。

<3>、公労法が定めた代償措置は、あつせん、調停および仲裁の制度であり、仲裁裁定は最終的決定として当事者双方がこれに服従すべきものである。しかし、仲裁裁定は絶対的な服従義務を生じさせるものでも形成的効果を有するものでもなく、政府は裁定が実施されるように努力しなければならない(同法第三五条)とされているにとどまり、殊に公共企業体等の予算上又は資金上不可能な資金の支出を内容とする裁定は政府を拘束しないものとされている(同法第三五条、第一六条)ために裁定の完全実施を確保する法律上の手段は存在しないのである。のみならず実際にも過去幾多の仲裁裁定が完全な実施を見ないでおわつたことは公知の事実である。してみると公労法上の代償措置はその実を有しない、少くとも不完全なものたるを免れないものといわなければならない。

以上の諸点に照らしてみると、公共企業体等の職員の争議行為を全面的に禁止することは前示の最高裁判所判決が示した四つの基準に適合しないのではないかと考えられ、結局争議禁止を規定した公労法第一七条は憲法第二八条に違反する疑いがある。

4 翻つて公労法第一七条の合憲性を一応措くとしても、労組法第一条第二項にいわゆる正当行為とは刑罰法規の適用の場での問題であつて、争議行為が公労法上違法とされたからといつて、直ちにそれが刑事上違法とされ労組法第一条第二項の正当行為となり得ないわけではない。そして、公労法第三条が労組法第一条第二項の適用を排除していないところからしても、公共企業体等職員にも同条項は当然に適用されるものといわなければならない。そうすると、いずれにしても公共企業体等の職員の争議行為には労組法第一条第二項の適用があると解すべきであるから、公共企業体等職員には正当な争議行為があり得ないことを理由に同条項の適用があり得ないとする検察官の論旨はその前提を欠いているものである。

(二)  労組法第一条第二項の適用される事実

三月一五日午後八時四〇分長岡局内における被告人島名の公務執行妨害の訴因については、平野善徳証言(8回公判調書)および武山芳郎証言(7回公判調書)によれば、公訴事実記載の時刻場所において、翌朝始業時以後交換業務に就くべき疎通要員等を擁した伝田、平野が、交換室前にピケラインを張っていた組合員の指揮者である被告人島名から両平手をもつていずれも胸などを数回押しかえされた事実を認めることができる。

伝田今朝春証言(5回公判調書)中には被告人島名が四、五回胸や腹を突いた、旨の部分がある。また平野証言は、伝田、平野が島名から「胸、腹を押された、というより突きとばされました」といい、後に「(答)、突きとばされた、といったのは突かれたと訂正します。(問)、手をどのようにして突いたのですか、(答)、掌を開いてです。」というのである。

しかし、伝田証言は、後記するようにその叙述に具体性がなく数回の衝突のいずれもが殆んど同一の内容でその信憑性に疑問があり、また伝田、平野はいずれも本件の被害者と目されるものであるが、攻撃を受けた者の供述には往々、無意識のうちに被害の状況について誇張が見られるという事実を考慮すれば、伝田らと行動を共にした公社管理者の一人である武山証言の前示認定と同旨の証言をもつとも信憑性あるものとすべきである。しかも、この認定と平野証言(さらには伝田証言とさえ)とは矛盾するわけではない。むしろ、平野証言によつても被告人島名は両手をあげその掌を開いていたというのであるから、それは「突く」動作より「押す」動作として適切である(両手掌を開いて突くことも不可能ではないが)といえる。

さて、被告人島名の右の行為は他人の身体に対する有形力の行使であることは明らかであるが、右の行動はさきに詳細に認定して来た争議の場のことであるから、同被告人が、そのような挙に出るに至つた事情について更に立ち入つて検討しなければならない。

前示の場所にあつてピケツテイングの指揮にあたつていたこと、右伝田の命をうけあるいは指揮をうけた公社管理者の一群が本件に先立つ同日午後七時五〇分ごろ、午前八時ごろにも交換室進入を計ろうとしたことはさきに確定したところである(第一、二、(四))。伝田らは、午後八時に一四名ぐらいで交換室進入を試みたときに、被告人島名ら組合側から交渉による解決をつよく要求され、これに応ずるような口吻の下に一旦退去したが、組合との交渉によつて事態の解決を図ることはできないものと考えて再度本件の突入をはかり、その際、管理者の数も増員して二四名ぐらいで通してくれと云いながらいきなり島名、斉藤忠栄ら三、四〇人ぐらいの組合側に体当りをし、あるいは他の管理者の後から押すなどし、組合員らは「話し合いもしないでなんでまた来た」などといいながら管理者の入室を阻んだ。

被告人島名の本件行為は、その際に被告人等の身体に接近し接触し、力を加えて押して来た管理者らのうち伝田と平野を数回にわたつて押しかえしたもので短時間におこなわれたものである。

<証拠省略>

このような同被告人の行動をその具体的事情と本件の全体としての経過に照らして考えると、これを管理者らに対する攻撃であるよりも、むしろ不意に実力行使の挙に出た管理者らに対してその攻撃をさけつつ話し合いの機会をつくるためにした行為である、と解するのが事案にもっとも適切なところである。

労組法第一条第二項但書は「暴力の行使」を労働組合の正当な行為と解してはならないと規定しているが、だからといつて争議行為において一切の有形力の行使が正当性を有しないものとして刑事免責の外にあるものと断ずることはできないのであつて、殊にピケツテイングにあってはピケツテイングの正当な目的を達するのに必要な限度での実力的行動はこれを認めるほかないのである。

もちろんピケツテイングは他人の通行をそれが何人であれ終局的に阻止することは許されないが、ピケツテイングを排して入ろうとする者に対して話し合いの機会をつくるためこれを一時思いとどまるように説得をすることは当然に許容されるところである。ところがその説得のいとまも置かせず数と力に頼つてピケツテイングを突破しようとする者があるときに、これらの者に対して話し合いの機会をつくるためこれを僅かの時間押しとどめその通行を阻止する行為に出ることは、相手方の身体や自由に危険を生ぜしめあるいは相手方の意志を制圧するものでなく、即ち暴力の行使にあたるものでなく、ただその場での一応の物理的な阻止にとどまる限りにおいてはやむを得ないものとして正当性を失わないものといわなければならない。そうであれば、唯話し合いの機会をつくるためにしたと認められ、いまだ暴力の行使にまでは至らない被告人島名の本件の行為は労組法第一条第二項にいう正当行為として違法性を阻却すると結論しなければならない。

(三)  労組法第一条第二項の適用されない事実

本件の罪となる事実のすべてについて、被告人、弁護人らは、これが労組法第一条第二項にいう正当行為であると主張している。

しかし、右の各所為は、いずれも各被告人が暴力をふるつたと認められる事案であり、殊に第二の事実は傷害の結果を生じているものであつて、同法条を適用する余地がない。

二、正当防衛の不成立について

弁護人らは、被告人らの各行為がいずれも急迫不正の侵害に対する防衛行為として違法性を阻止すると主張する。

罪となる事実第一の各行為(長岡局関係)および第二の行為(三条局関係)のいずれも、被害者らの行為は職務執行行為としての適法性を欠いているので、公務執行妨害罪による保護を受け得ないものではあるが、これを仮に不正な侵害行為となるとしても(職務執行行為の違法であることがそのまま不正の侵害と評価されていいかどうかについては問題がある)、本件の各被告人の行為は、さきに詳細に認定したそれぞれの場面にあつてはやむを得ない反撃であるというよりは、いずれも積極的な攻撃であつてこれを正当防衛行為ということはできない。

第七無罪の理由

一、公訴事実の要旨

第一、被告人島名由松は、昭和三六年三月一五日午後八時ごろ、長岡局電話交換室前廊下入口附近で、電話疏通事務に従事するため交換室に入室しようとしていた伝田今朝春、武山芳郎および平野善徳の各胸部・腹部をいずれも手で突く暴行を加え、

第二、被告人島名は、同日午後八時四〇分ごろ、同所で、同じ目的で交換室に入室しようとしていた伝田および平野の各胸部・腹部をいずれも手で突く暴行を加え、

第三、同月一六日午前九時四五分ごろ、同所で同じ目的で交換室に入室しようとしていた伝田および平野に対し、

(一)  被告人島名は、伝田に対して「手を出して何が悪い、いくらでも出してやる」と言いながらその胸部・腹部を突き、平野に対して「何だこのやろう」と言いながらその腕を掴んで引張りあるいは押しつける暴行を加え、

(二)  被告人茂野は、伝田の胸部を手拳で突き、その大腿部をひざで押しつける暴行を加え、

第四、被告人八木は、同日午前四時五〇分ごろから午前六時ごろまでの間、長岡局正面玄関前で、電話疏通事務に従事するために入局しようとしていた小泉友利らの管理者に対して、

(一)  小泉友利の顔面に煙草の火を近づけて同人の身体に危害を加えるような気勢を示して脅迫し、

(二)  市川寛の胸部を手拳で突く暴行を加え、

(三)  本多末作に対して「お前はどこの者だ、名前を言えないのか」といいながらその胸部を掴んで道路上の雪壁に押しつける暴行を加え、

もつていずれも公務の執行を妨害した、というのである。

二、局内における事件(前示第一ないし第三事実)について

(一) 伝田証言と平野証言の信憑性

まず、伝田今朝春証言(5回公判調書)は長岡局内における組合側と公社側の接触事件である前示第一ないし第三の各事実に共通する証拠であるので、各事実関係につきあわせてその信憑性を検討する。自己が被害者となつた各事実についての伝田証言はつぎのとおりである。

<1>第一事実について

(問)あなたはどこを押されましたか。(答)一度ではなく何度もなんで……腹か胸を……。

(問)どこで。(答)手です。

(問)どのようにですか。(答)こうじゃないですか(このとき証人は右腕を曲げて前腹部附近に置き曲げた右腕を前後に往復する動作を示した)。

(問)こうじゃないですかつて。……あなたがされたのではないですか。(答)はい、こうです。

(問)……<省略>……島名に何回ぐらいそのようにして胸や腹を突かれたのですか。(答)四、五回です。

<2>第二事実について

(答)そのとき相手の先頭にいたのはやはり島名でしたな。その人がとにかく一番抵抗しました。(問)抵抗しただけですか。(答)暴力ですね。(問)あなた方の側で手を出したりした者はありませんでしたか。(答)私の方は全然手を出しませんでした。私が「手を出すのか」といつたら島名は「手を出して何がわるい、幾らでも出してやるワ」といい前と同じようにして四、五回胸や腹を突きました。

<3>一六日午前九時三〇分の事件について

(答)抵抗したのはトツプにいた島名です。島名と入れろ入れないの問答をやり入ろうとすると邪魔されました。

(問)邪魔されたというが具体的にいうとどのようなことをされたのですか。(答)さきほど云いましたようにして手でもつて胸・腹を突かれました。

(問)何かいいましたか。(答)やはり「手を出すな」とその都度私はいつたのですが「手を出すのが何わるい」とか言つて……

伝田は、午前九時三〇分のできごとについて更に問われて、その時刻に島名がいたのはたしかな記憶であること、島名は階段の踊り場の下あたりにいた、伝田らが上ろうとしたら上らせなかつた、島名のほかに誰かもう一人いた、そして一旦事務室にかえつて午前九時四五分ごろまた行つたのである云々と、そのときの状況を詳細に述べた。

<4>第三事実について

(問)そのときは島名にはやられなかったのですか。(答)最初の頃やはり同じように手でもつて入れろ入れないと……右手か左手で……右手と思いますが……このようにして腹胸を押しました(証人は右前腕を折り曲げ前腹部附近に置き、この右前腕を前に押し出す動作を示した)。

右に示した証言について特記すべきことの第一は、これら証言中、被告人島名らの被害事実について述べるところがすべて抽象的であり且つ類型的であつて、一回毎の状況が真に証人の記憶にあるものとして特徴づけられていないことである。証言が記憶にもとづき且つ加害者に対する敵意や被害事実についての誇張によつて歪曲されていないのならば、いかに数多く類似の場面に遭遇したとしても、一つの場面を他から区別するような何かの情景をそこに浮かび上らせていい筈である。それなのに、これらの事件のいずれも証人にとつて「もつとも抵抗を示したのは島名であつた。島名は数回腹か胸を突いた。」というだけのことで、それ以上の具体性は持ちあわせていない。しかして、その各場面は、証人によれば、あるときは島名の動作態度が全く同一であり、あるときは発した言葉が同一である。さらに注目すべきことの第二は、伝田証言<3>の一六日午前九時三〇分の時点には被告人島名は現場にいなかつたという事実である。被告人島名は、当時長岡局中庭で開かれていた職場大会に出席中で、午前九時三〇分に衝突があつたとの知らせをうけて太刀川省次、小島洋吉、被告人茂野の三名とともに局舎内にはいり現場に赴いたことは、太刀川省次証言(50回公判調書)、小島洋吉証言(50回公判調書)ならびに被告人島名の供述(57回公判調書)により疑いをはさむ余地がない。

それであるのに、伝田がこの時点において被告人島名がいたことをその根拠まであげて証言したことは重要である。もちろんそれは意識的な事実の歪曲ではなく、記憶のあいまいさと混乱にもとづくものであろうが、それ故にまた同証言の他の時点の状況に関する証言についても、それが混乱した記憶によるものかもしれず、正確な認識と記憶をそのままの形で表わしているのではないかもしれず、他の事実に関する供述もこの程度の誤りや不正確な知覚を正確と云い張る無意識裡の作為を内包しているかもしれないということを危惧させるものである。

以上のような事情に照らしてみれば、伝田証言は、たとえば<2>の一五日午後八時三〇分の場合における武山証言(7回公判調書)のように、伝田証言を補強してその真実性を担保するたしかな証拠がないかぎり、これを単独で罪証の用に供することはできないものといわなければならない。

平野善徳証言(8回公判調書)は、伝田証言ほどの混乱はみられないが、状況記述における具体性のなさ、記憶の的確さを感じさせるところのないことなどは伝田証言と同断である。平野証言には、そのうえ、被害事実についての殊更な粉飾と誇張がみられる。平野証言もまた独立して罪証の用に供するには懸念を感じさせないではおかないものである。

(二) 三月一五日午後八時の暴行(前示第一事実)について

1 伝田今朝春に対する暴行については、伝田自身は前掲のような証言をしているが、このうち「何回ぐらい……突かれたのですか」「四、五回です」の部分は、まだ証明されていない「突かれた」という事実が存在するものという前提をおいて尋問しているものであつて、明らかに誘導尋問であるからその証明力に問題があり、またこの点に関する平野証言(8回公判調書)もきわめて漠然とした内容であり、いずれにしてもこれらの証言は措信し難く他にこの事実を肯定するに足る的確な証拠はない。

却つて武山芳郎証言(7回公判調書)は、管理者らが腕を腰にあてるようにして入ろうとしたらむこうも同じような形で体当りで押し返したと述べたあと、検察官の「あなたたちの中で誰かに体で押し返されるだけではなく、明らかに手で突かれるとか押すとかいうことをされた者はいませんでしたか。八時のときと八時四〇分のときとを通じてのことですが」との質問に対して、「私はそういう形の中で入れなかつたのですが、腕で突くとかいう特別乱暴なことがあつた記憶はありません」と述べている。武山は、自らが長岡局次長である立場上、伝田とともに最前列に立ち衝突の場面でも同人の隣にいて終始離れていないのであるから、被告人島名に訴因のような暴行があつたとすれば武山の見聞するところとならない筈はない。しかも武山はもちろん公社側被害者に同情ある証人であつて、被告人に不利な事実をかくすことは考えられない。従つて、被告人島名による暴行なるものはなかつたと考えるのが相当である。

武山証言にもあらわれているように、組合員と管理者との間には互いに押したり押されたりの押しあいが行なわれたと考えられるし、被告人島名が組合側の先頭にいたことは明らかである。伝田証言が被告人島名に押されたと云つている部分はこれに副うものである。しかし、押しあいがあつたということは突いたという訴因とは別のことであるばかりでなく、本件のような争議の場で互いの身体と身体が接着している際に押しつ押されつするのは、物理力の行使ではあつても、未だこれを違法な力の行使即ち暴行とまではいうことができない。

2 右公訴事実のうち、平野善徳および武山芳郎に対する暴行の事実は、当の被害者とされている平野および武山の証言中にさえ、これに副う供述は存在しない。伝田今朝春証言(5回公判調書)中に、「平野もやられた気配があったようでしたが見たわけではありません」との証言があるが、これによつて訴因を認定することはできず、他に訴因のような事実の存在したことを認め得る証拠はない。

(三) 同日午後八時四〇分の暴行(第二事実)について

被告人島名の伝田に対する有形力の行使の事実は認められるが、これが労組法第一条第二項の正当行為に属すべきものであることはさきに判断したとおりである(第六、一の(二))。

(四)  三月一六日午前九時四五分の暴行(第三事実)について

1  被告人島名の伝田に対する暴行につき

右の事実に関する証拠は、伝田証言(5回公判調書)と平野証言(8回公判調書)であるが、そのいずれもその信憑性に問題があることはさきに説明した。

しかもこの点に関する伝田証言は、午前九時三〇分の時点における被告人島名の暴行という、いまとなつては存在しないことが明らかな被害事実についてるる述べた直後に、「九時四五分のとき、もう一辺やりました。一旦は戻つたのです。戻りましたが忙しい時間は来るし……(中略)、そのとき入ろうとしたら島名にやられました。」と供述している部分である。供述の前半、九時三〇分の部分が真実に反することが証明された後に、なおその後半のみは真実であるとするには何人をも納得させるような理由が必要である。しかるに、伝田証言は、ただ後になつて余り回数が多かつたので混同したとのみ説明するに止まり、さきに、自らの記憶のうえで午前九時三〇分の場合と九時四五分の場合とを明らかに区別し得るゆえんをかぞえあげ、しかも、そのいずれの場合にも被告人島名の暴行を体験したと述べたのが何ゆえであつたのか、そしてなぜ現在九時四五分の場面の記憶が正しく九時三〇分のそれは誤つているといい得るのか、このような疑問には全く答えていない。

このような状況にあつて、伝田証言中、午前九時四五分の場面についての供述のみを信用することは到底できない。

残る平野証言は、単純に伝田が「茂野君に押され、島名君に突かれたのです。」と述べた一言があるのみである。内容に乏しい平野証言も、この供述にあつては最も抽象的であつて、突いた方法も突かれた部位も程度も、すべて不明である。

以上の証拠によつて公訴事実を認定することは不可能である。

2  被告人島名の平野に対する暴行について

平野に対する暴行の公訴事実は、「平野の腕を掴んで引張りあるいは押しつける暴行を加えた」というのであるが、これに副う証拠はなく、平野証言中につぎのような変転する供述がある。即ち、(1) 、私は島名君に押され……(2) 、私の場合島名君に五、六回突きとばされた感じです。(中略)胸全体とそれに腹です。(3) 、何回も突くという動作で押すということではありませんでした。という部分である。

右の供述について、第一に指摘し得ることは、押されたあるいは突かれたという事実は平野が公判廷ではじめて述べたもので捜査段階ではおそらく出ていなかつた事実であり、捜査段階では訴因のように「腕を引つ張り、押しつけられた」と供述していたと想像されるのであるが、なぜ供述がこのように変つたのか不自然なところがあり、前後いずれが真実であるのかという点に疑念の生ずることである。第二、平野証言が前示(2) 、(3) で述べる部分は「突きとばされた感じ」あるいは「突くという動作」と言うのであつて、突いたのかそうでなかつたのか漠然とした感じを脱けていない。このことから、平野が何かの有形力を加えられたのが真実としても、それは明確に「突いた」と言い得るものでなく、結局最初の供述の(1) 、押された、に帰着するのではないか、という疑問がある。このような問題ある証言を根拠にして、しかもこれを唯一の証拠として「腕を掴んで引張りあるいは押しつける」という訴因記載の事実を認めることは到底できないのみか、訴因以外の「突いた」という事実も認定しがたいところである。

3  被告人茂野の伝田に対する暴行について

右の公訴事実に関連のある証拠は、伝田証言中、被告人茂野が「そして手でもつて……ひざこぶしでもつてぐいぐいと壁の方へ押しました。そのため私は階段から落とされそうになりました。」旨の部分と、平野証言中、被告人茂野に「胸倉をとられて……壁際までさがつて押しつけられ」そして同被告人は「下膊部で何度も伝田さんを押しつけ、ひざで……蹴るわけでもないが、そういう風にしていました。」旨の部分の二証言である。

これら証言を検討してみるに、叉方が同一の場面について供述していることは間違いないが、それでは被告人茂野にどのような行為があつたのかについては、伝田証言では、(1) 、被告人茂野が手でどのようなことをしたのか、(2) 、「ひざこぶし」でどこを押したのか、判然とせず、平野証言では、(1) 、被告人茂野が下膊部でどこを押しつけたのか、(2) 、ひざでどこをどのようにしたのか、(3) 、下勝部云々とひざで云々、とは同一の行為か別個の行為か、いずれも不明である。結局のところ、伝田、平野証言を最大限信用するとして、被告人茂野が伝田の胸倉をとつて押したこと、およびひざを伝田の身体のどこか一部に接着させて押したことが推測されるところである。

しかし、伝田・平野証言が本来信用性のうすいものであることはさきに詳細に述べたところである。これを更に本件に関連ある部分について検討してみても、たとえば、伝田・平野は管理者二〇名余の先頭に立つて交換室に入ろうとしたのであるから、組合側を扉あるいは壁に向つて押していたのならまだしも、逆に組合員である被告人茂野が伝田を壁に押しつけたというのは解し兼ねるところである。しかも伝田証言によれば、伝田は階段から落ちそうになつたというのだから、同人の押しつけられた壁は交換室の廊下入口から最も遠い個所ということになる(当裁判所の長岡局検証調書)が、それならば被告人茂野はどのようにして廊下入口前にいた伝田をその後につづいてつめかけていた管理者群の中を通り、その内の誰の抵抗も受けないで反対側にある壁の附近まで移動させ得たのか。伝田・平野証言とは反対に、被告人茂野が伝田によつて壁面に押しつけられてこれに抵抗していたという弁護側証人太刀川省次証言(50回公判調書)、小島洋吉証言(50回公判調書)、田中太次証言(50回公判調書)は、これをむげに排斥し去るわけにはいかないものがある。そうなると、同じく被告人茂野が伝田の胸やその他の所を腕やひざで押していたとしたところで、局面は相当にかわつて来るのであつて、伝田・平野証言にあらわれるとおり、被告人茂野が伝田に体を接触させた事実そのものはあつたが、この場合被告人は防禦のためにそのような姿勢となつたと見なければならない。本件は、被告人茂野の行為は攻撃であるより、右のように防禦一方であつた可能性が大きいと考えるものである。

被告人茂野の行為が右のような防禦の行為であれば尚更のこと、そうでなくとも、胸部を押しあるいはひざで体のどこかを押すという行為は、「突く」あるいは「蹴る」という行為とは、明らかに異る評価を与えなければならない。

殊に本件のように、争議行為の場面で実力行使がおこなわれており、人と人の身体が接着しているときには押しつ、押されつすることがあり、そしてそれは形の上では正に他人に対する有形力の行使であるけれども、その段階にとどまるかぎり未だこれを違法な力の行使とまではいうことができない。

被告人茂野の伝田の身体のどこかを押したという行為も、これを暴行罪の構成要件をみたすとはいうべきでない。

三、局外における事件(前示第四事実)について

(一) 小泉に対する暴行(第四の(一)いの事実)

検察官の釈明によれば、公訴事実の記載中、被告人八木が「労務課長を狙え。」と怒号した、との部分は起訴の対象となつていないというのであるから、煙草の火を小泉の顔面に近づけた事実が本件の判断の対象である。

この点に関する直接の証拠は、小泉友利証言(9回公判調書)であるが、右の証言をいかなる観点から検討しても、被告人八木が煙草を顔に近づけたというのは、管理者と組合との衝突のさなかのことであるとしか考えられない。ところが、その衝突の時点において被告人八木が加藤・荒井両名の間にいて両名と腕を組み合わせてスクラムを組んでいたことはさきに認定したところであり、(第四 二、の(三)、1の(2) )、衝突の場面では双方が密集し密着して体を動かすことがままならぬ状態であつたことは押収してある「全電通信越」(押65)の写真や小泉証言自体によつて明らかである。このような状況下では、被告人八木が管理者らの実力行使前に火をつけた煙草を手にしていたのだとしても、これをスクラムに自由を奪われた手で意図的に小泉の顔面に、しかも「至近距離です、何センチとはいえません。」「熱さを感じて顔をそむけました。」(小泉証言)というほどに接近させることは至難のことと見なければならない。しかも、この場合には、被告人らのピケツトラインによる防禦体制の中に小泉らにおいてぶつつかり押していつたのであるから、その際に被告人八木のもつている煙草の火が小泉の顔面近くに近づいたとしても、それをもつて直ちに被告人八木に故意があつたと見るわけにはいかない。同被告人にどうしても帰責の事由を求めようとすれば、紛争の際は煙草を捨てるべきであつたという作為義務を課さなければならないが、そのような義務を認めることは到底不可能である。

(二) 市川寛に対する暴行(第四の(二)事実)

本件に関する証拠は市川寛証言(11回公判調書)である。

市川証言によれば、市川らが早暁の衝突の二回目にあたつてピケツトラインを押していつたとき、前面にいた被告人八木のスクラムを組んで胸の辺りで握つた両拳が市川の胸部を幾度か強く圧したことを認めることができる。

しかし、ピケラインに多勢の力で体当りをしていつた場合に、ピケラインの中にある者のスクラムを組んだ手拳その他体の部分が相手の方の体に接触し、それが場合によつて相手方に苦痛をもたらす結果となることは往々あり得ることである。また、衝突され押された者がそのように全く受動的な立場で押される一方という状態にとどまることなく、押されるのに応じて自己の位置を守る程度に押しかえしたとしても、相手方が自ら求めてピケ突破を意図して実力の行使に出たものである場合には、これを未だ暴行と呼び得るほどに違法の行為ということはできないものといわなければならない。

そして、被告人八木が手拳で積極的に突いたという事実は証拠によつて認められないから、市川証言が胸部を強圧されたというのも右のいずれかであろうと考えられるが、そのいずれにせよ、被告人八木において市川その他の管理者に苦痛を覚えさせる目的で手拳を構えていたのであればいざ知らず、同被告人はスクラムを組んだために両手拳を胸の上に置く状態となつていたのであるから、これに市川が自らの体を接触させて押して来たり、また被告人八木が腕の自由を制された範囲で前面に押してくる者を押し戻す動作をしたとしても、これらを暴行にあたる行為をもつて目すべきではない。

(三) 本多末作に対する暴行(第四の(三)事実)

この点については、一応の証拠として本多末作証言(13回公判調書)と清滝嘉策証言(17回公判調書)とがある。

被害者とされている本多証言の該当部分を引用するとつぎのとおりである。

(答)、今考えると……軽く手を……平手ではありませんが、こずられるような状況でした。一番印象に残つたのは島名さんのことで……相当混乱していて判然しません。(問)、こずられるとはどういうことですか。(答)、叩かれるというか、突かれるような……。(問)、拳ですか。(答)、軽く掌を握るようにしてです。(問)、八木さんがあなたを小突いたのですか。(答)、混乱していたので……片方島名さんにやられていたのですが、そのように記憶しています。

ここで被告人からいまの証言は島名についてか八木についてかはつきりしてほしい、と異議が述べられ、検察官は「検察官としては、今被告人側が争う点については尋問を打ち切る。」と述べた。

一方、清滝証言は、主尋問における誘導尋問の結果、「そうすると八木と島名が本多課長に何か言いました。そして本多を突いたり押したりして私の脇をすぎて局舎に向つて右側へ移動して行きました。」「それは二人だと記憶しています。」と供述し得たにとどまつた。

以上であつて、この二証拠から被告人八木が「お前はどこの者だ、名前を言えないのか、と怒号しながら本多の胸部を掴んで道路上の雪壁に押しつけた。」との公訴事実を認めることができないことは明らかであろう。そして、以上を除いて本件に関する証拠は存在しないのである。

四、以上検討して来たとおり、前示第一ないし第四のいずれの事実についても、各被告人において公社管理者に対して暴行・脅迫を加えた事実は認められない。従つて各被告人に対する前示公務執行妨害の各公訴事実について刑事訴訟法第三三六条に従い無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 豊島正巳 宮本康昭 梶原暢二)

別紙 訴訟費用の負担<省略>

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